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お母さんたちの底力。手芸グループ「ナミテテマザーズ」

〜25年度9次隊シニア短期ボランティア田村美津子(たむら みつこ)〜

あ、この人も持ってるんだ。マラウイの隊員やJICAスタッフが、現地の布チテンジで作られたポーチを使っているのをよく目にした。毎日の暮らしに寄り添うようなシンプルで使いやすいポーチ。これはどこで誰が作っているのかな?誰かの活動が関わっているのかな?

そんな疑問から始まった今回のインタビュー。
ナミテテのお母さんたちによる手芸グループ「ナミテテマザーズ」を立ち上げた田村さんにグループの活動の軌跡や今考えていることを聞きました。

 

 

田村さんはマラウイに来るのは2回目とお聞きしましたが、初めてマラウイに来られたのはいつですか?

 

21年度3次隊として2010年1月7日にマラウイにやって来ました。職種は幼児教育です。配属施設 Namitete consol Homes orphan careというNGOが運営する孤児院で、子どもたちの保育や先生たちに幼児教育の指導をしていました。

 

 

ナミテテのお母さんたちによる手芸グループ、ナミテテマザーズを始められたのはどのようなきっかけからですか?

 

教育よりもまずはお金が必要だと思いました。

 

配属されてから半年くらい過ぎたら、幼稚園に通う子どもたちがどんどん減ってきました。先生や保護者の人に理由を聞いてみたら、体調不良・お葬式・忙しい・子どもが行きたがらない・服や靴がない・石鹸が買えない(学校に行く前には沐浴をしてくのがマナー)などの理由がありました。教育への感心も低く、幼稚園や学校へ子どもを行かせる必要性を感じていないので、母親学級を企画し、基礎知識・衛生栄養指導などの活動を始めたんです。

母親学級でお母さんたちと関わりが増えていくうちに、「教育よりもまず必要なのはお金?」という考えにいたり、とりあえずアフリカらしく身近な素材であるチテンジを使った製品を作って売ろうと考えました。そのころ、これといったお土産物がマラウイになかったし、絶対売れると思いました。最初は、お母さんたちの興味も薄く人がまったく集まらなかったのですが、粘り強く声をかけ続けました。2か月くらいしてやっと販売できるような作品ができ始めて、最終的には40名以上のお母さんたちが週2回集まって活動を行いました。

 

ー商品のデザインなどはどうやって考えられたのですか?

 

商品のデザインは、手元にあったり、誰かが持っていた物を参考にしました。ネットや本も見ましたが、イメージがわきにくく、お母さんたちに伝えにくいので、見本をまず最初に作ります。実は手芸は苦手な分野なのですが、物作りはすごく好きです。

 

ー製品の販売はどこで行っていますか?売り上げなどは?

 

販売先は、バザー・JICA事務所・OVOPアンテナショップです。外国人や富裕層向けのファーマーズマーケットなどに出店させてもらっていますが、やはりバザーが一番売れますね。その他、OVOP商品のラッピングバックにも使ってもらっています。ありがたいことにJICA・日本大使館関係・NGO日本人スタッフなど日本人のお客様に応援いただき、いつもたくさんご購入いただいています。日本でも私の知り合いの方に頼んで、大阪・香川で販売しています。

お母さんたちの収入も一月に少ない人で2500kw(約700円)多い人で5000Kw(約1200円)くらいの収入になりました。

(マラウイで農業従事者の平均収入は月20000Kw)

 

 

ーどのような製品を作っていますか?特に売れ筋の製品は何ですか?

 

ポーチやワインバッグ、シュシュ、エコバックを作っています。

一番の売れ筋はママバッグというノーマルなポーチですね。表と裏のチテンジ柄が違うことがポイントです。その他テトラバッグも変わった形と手頃なサイズが人気です。

 

ー活動をしていて難しかったことは何ですか?

 

メンバーが集まらない、活動の消滅、山場はたくさんありました。

 

活動開始した頃 、全然お母さんたちが集まらなかったんです。知り合いにサクラになってもらったりもしたけどダメでした。活動が動き出したきっかけは、「作ったその日にお金がもらえる」というシンプルな方法に変えてからです。代金を、みんなの目の前で支払っていきました。今思えば「経験のないことを、外国人に教えてもらう」ということは、村のお母さんたちにとってプレッシャーだったと思います。信頼関係ができるまでが大変だったけど、ひとり・またひとりと理解者が増え、その人たちを通して信頼関係がつながり活動が広まっていく、そんな感じで少しずつ流れができました。

 

2010年11月頃から活動を開始して2013年7月までの3年半ほどは、私や後任の協力隊員が関わり活動は継続出来ていました。しかし、隊員が離任したら活動が止まってしまいました。

「生産計画を立て、材料を用意し配布して、買取時には品質をチェックして支払いをする。」という裁縫以外のことをすべて隊員が行っていた。「販売できる製品を、ある程度量産できる」というところまでしかグループを育てることが出来ませんでした。その上、残しておいた材料費などをNGOのリーダーが横領してしまったこともあって、活動費用の都合もつけられず、活動は完全に無くなってしまいました。

 

ーもう一度ナミテテマザーズを再開しようと思ったいきさつを教えて下さい。

 

メンバーが活動を再開したいと言ってくれた。

 

平成26年1月にシニア短期ボランティア、コミュニティー開発として一村一品運動(OVOP)の養蜂グループの支援・パッケージセンターの設立に携わるためにマラウイに戻って来ました。10ヶ月だったので、最初は蜂蜜だけがんばろうと思ったのですが、ナミテテのメンバーたちが自分が帰った時にすごく喜んでくれ、ぜひ活動を再開したいと言ってくれたんです。配属先のOVOP事務所に許可も頂けたのでやるしかないだろうと再開しました。

ー現在の活動状況はどうですか?

 

まだまだマラウイでもがいて、この村にしかない何かを作りたい。

 

お母さんたちは、オーダー以外のものを自分で考えて作ってきたりと、自分たちで何とかしようという動きがでてきました。実はあと半月ほどで任期が終わり、4月後半に帰国するのですが、最近は①材料を裁断②縫う③品質チェック④パッケージングまで、メンバー自身でできるようになってきました。会計やマネージメントもメンバーに引き継ぎを行っています。私もいったん帰国するのですがトータル3年半を過ごしたマラウイでまだまだやりたいことあるし、信頼できる仲間もいるので「マラウイ生活10年」を目標にまだまだこっちでもがいてみたいですね。

 

最近、ナミテテマザーズのような団体が増えてきて、差別化を図っていかないと生き残れない状況になってきました。私が日本人ということで、日本との連携を生かして販売先を広げたいと思っています。しかし、それをするには「これはここにしかない!」という何かがないとやっていけないと思います。今はそれがまだ見つかっていないけど、このメンバーだからできることを探して突き詰めてやってみたいですね。できれば手工芸作品からアート作品へと成長したいと思っています。最近放課後の教室で活動を行い始めたのですが、そこへ村の人たちがストローとプラスティックの廃材をつかったネックレス、伝統的な遊びの道具グリ(ぶちゴマ)、素焼きの花瓶や小物入れなど色々な作品を持ってくるようになったんです。それらの作品に磨きをかけて、いろんなものを楽しめるアート村を作るというのが私の大きな野望です。

 

 

ーナミテテマザーズの商品はどこで買うことが出来ますか?

 

私がいったん帰国するので、JICA事務所での販売はなくなりますが、リロングウェにあるOVOPのアンテナショップや、ナミテテの工房で購入することが出来ます。日本でも販売場所を拡大していきたいですね。

 

 

 

取材日:2015年5月

文責:26-3 理学療法士 矢倉厚子

 

ママバッグM(1000kw)

テトラバッグS(700kw)

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